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北斗の拳のラオウ役、内海賢二さん死去 [訃報]

内海賢二.jpg
   アニメ「北斗の拳」のラオウ役などで知られる
  声優の内海賢二(うつみ・けんじ、本名健司=けんじ)さんが
  13日午後3時1分、東京都新宿区の病院で
  お亡くなりになったそうです。
  まだ75歳だったそうです。




がん性腹膜炎のためだったとか、残念ですね。

内海さんは、福岡県北九州市出身でテレビアニメ・洋画吹き替えに数多く
出演されていましたね。

「魔法使いサリー」のパパや「Dr.スランプ アラレちゃん」の則巻千兵衛など、
張りのある低音を生かして多くのアニメに出演されていました。

渋い役柄からひょうきんな役、悪役まで幅広くこなしていました。

ほかの出演作は「狼少年ケン」「それいけ!アンパンマン」など。


テレビ番組やCMのナレーションでも活躍し、1980年代には長者番付に名を連ねたこともあったそうです。








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昭和の大横綱 大鵬 死去 [訃報]


昭和の大横綱といわれた大鵬が1月19日に亡くなられました。

幕内優勝32回と大相撲で史上最多の記録し
96年に58歳で死去してした柏戸とともに「柏鵬時代」を
築いた昭和の大横綱の元大鵬、本名、納谷幸喜(なや・こうき)さんが
東京都内の病院で1月19日午後3時15分、心室頻拍(しんしつひんぱく)のため死去した。
72歳だった。

大相撲で横綱、大鵬が活躍していたころ
子どもが好きなものは
巨人、大鵬、目玉焼き
という言葉がはやっていましたね。

元大鵬は
樺太(現サハリン)生まれ。
5歳で北海道へ引き揚げ、16歳で二所ノ関部屋へ入門。
1956年秋場所、初土俵を踏んだ。
18歳で十両、19歳で幕内へ昇進し、61年秋場所後に21歳3カ月で48人目の横綱に昇進した。

右四つ中心の、柔軟で負けにくい相撲が持ち味で、6場所連続優勝2回。全勝8回、
45連勝も記録するなど抜群の強さを誇り、同時に横綱に昇進した柏戸と「柏鵬時代」いわれた。

71年夏場所中に引退し、功績に対して一代年寄「大鵬」を贈られ大鵬部屋(現大嶽部屋)を興したが
36歳で脳梗塞に倒れた。左半身がまひする後遺症が残り、横綱や大関は育てることはかなわなかった。

通算872勝182敗136休、幕内746勝144敗136休。敢闘賞2回、技能賞1回。

77年に脳梗塞で倒れたが、再起して79年には大鵬部屋から初の幕内力士、巨砲を生んだ。
80年から96年1月まで日本相撲協会理事。


2005年に日本相撲協会を定年退職した後、相撲博物館長を務め、08年に退任していた。




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中村勘三郎 急死 急性呼吸窮迫症候群 [訃報]

中村勘三郎 急死 急性呼吸窮迫症候群


中村勘三郎(なかむら・かんざぶろう)さん
今年6月に初期の食道がんが発見され
7月27日に手術を行なわれて、
その後は、舞台復帰に向け療養に努めていたそうですが
8月中旬ころに急性呼吸窮迫症候群(ARDS)を発症され
まだ57歳という若さで5日午前2時33分、
急性呼吸窮迫症候群のため、
東京都文京区の日本医科大学付属病院でお亡くなりになりました。

中村勘三郎1.jpg



驚きましたね!!。


勘三郎さんが手術の翌日に病室内を歩いたとか、一時順調に回復している様子が
伝わってきたこともありましたから

ご冥福をお祈り申し上げます



ところで急性呼吸窮迫症候群ってどんな病気なんでしょうか?
あまり聞きなれない病名ですね。


急性呼吸窮迫症候群とは

さまざまな原因に続発する急性の肺の損傷だそうである。
ひとつの病気の名前ではないんだそうです。


米国胸部疾患学会と欧州集中治療医学会の合同検討会(American-European Consensus Conference: AECC)で
なされた定義では、
「先行する基礎疾患を持ち、急性に発症した低酸素血症で、胸部X線写真上では両側性の肺浸潤影を認め、
かつ心原性の肺水腫が否定できるもの」となっているそうです。

なんかよくわかりませんね?????

簡単にいえと
(1)急に発症している、
(2)低酸素血症が明らかである、
(3)胸のレントゲンで一部ではなく全体に渡る異常な影がある、
(4)心臓が原因ではない、もの全てを指すそうです。


原因として
敗血症、大量輸血、重症肺炎、胸部外傷、肺塞栓、人工呼吸、純酸素吸入、
急性膵炎等で重症の患者に突然起こる。(wiki)
抗がん剤、抗リウマチ薬などによるもの、また、血液製剤によるものもあるとか。


死亡率は50-60%と高く、早期発見・早期治療が必要ですが。
詳しい発症メカニズムは充分にわかっていない病気だそうです。

敗血症が原因としては最も多いそうで
ことにアルコール多飲歴がある場合、死亡率は倍にもなるそうです。


中村勘三郎さん、食道がんの手術で免疫力が落ちていたのと
お酒が好きだったようですのでその影響もあったんでしょうか?


お酒を多く飲む方は注意が必要かも?


中村勘三郎さん、好きな歌舞伎俳優でした
まだまだ活躍してほしかったのに残念です。



<参考>

http://www.jrs.or.jp/home/modules/citizen/index.php?content_id=36

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A5%E6%80%A7%E5%91%BC%E5%90%B8%E7%AA%AE%E8%BF%AB%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4


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宮史郎 病気 歌手 ぴんから兄弟 [訃報]

宮史郎 病気 歌手 ぴんから兄弟

また訃報が飛び込んできました。

「女のみち」「女のねがい」等のヒットで知られる
「ぴんから兄弟」のボーカルで歌手の宮史郎さんが
19日午後1時5分、多臓器不全のため東京都内の病院でお亡くなりになられたそうです。69歳だった。

葬儀は近親者でおこなわれる


  


宮史郎さんの御兄さんと並木ひろしとの三人で組まれたコミックバンド「ぴんからトリオ」の
時に発売した「女のみち」、「女のねがい」「女のゆめ」など「女の~」がこの時期はやりましたね

この時期殿さまキングスや平和勝次とダークホースなどコミックバンドの演歌がブームになりましたね。


「ぴんからトリオ」懐かしいですね。なんでもこの「ぴんからトリオ」って「ピンからトリ」から命名したらしい?

宮史郎さんプロフィールを調べてみました。


宮史郎さんプロフィール

本名は宮崎芳郎(みや しろう)1943年1月17日兵庫県加西市広原町生まれ。

1959年、姫路市のキャバレーで働きながら自主制作で「男の花道」を発売するなどしていた

1961年、コミックバンドスパローボーイズを結成。

1963年、宮五郎(宮史郎の兄、1936年4月29日-1994年8月12日)・
並木ひろし(1942年2月14日-1998年11月13日)と共に
コミックバンドぴんからトリオを結成。

72年に「女のみち」でレコード・デビュー。(500万枚の大ヒットとなった)

続いて発売した「女のねがい」「女のゆめ」もミリオンヒット。

73年にトリオから並木さんが脱退し、グループ名を「ぴんから兄弟」に改名。

同年に紅白歌合戦に「女のみち」で初出場

83年に「ぴんから兄弟」を解散し、ソロ歌手として活動

10年にはソフトバンクモバイルのCM「流しのAyu」編で浜崎あゆみと共演し、話題を呼んだ。



懐かしい方が亡くなってさびしいですね。

謹んでご冥福お祈りします。

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